奈良・大阪の
リトリーブサイコセラピー
心理セラピスト
なかのあやこです
自分を大切に
自分を生きていきましょう!
11月の募集スケジュールです。
よろしくお願いします(^^♪
秋が深まってきましたね。
急な冷え込みに体が追い付かない方も
いらっしゃるかもしれません。
身体と心はつながっていると言います。
身体が冷えるとメンタルの調子も落ちがち…
あたたかくして過ごしたいですね。
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今日は映画【ジョーカー】を観て
心理的に思うところを書いていきますよ。
(以下、ネタバレありです)
貧しいながらも、人に笑顔を届けたいと
コメディアンを目指していた人間味あふれる男が
ジョーカーへとなり果てるさまを描いた物語。
善良な彼がどうして殺人鬼になってしまったのか
その理由のひとつとして
本当の彼を誰も見ようとしなかった。
そして、彼自身も
本当の自分に気づくことなく
仮面の自分を演じ続けた。
という側面があるのではないかと私は感じました。
彼の名はアーサー。
アーサーの母親は彼を
「ハッピー」と呼ぶ。
(押しつけも甚だしいんだけど)
幸せの欠片もないような生活の中で、常に笑顔でいること
を選択した幼いアーサー。
(ヒーターに括り付けられてさえ!)
ママに笑顔を届けたいと思い続けていた少年は
大人になり、人々に笑顔を届けたいと
コメディアンを目指します。
不器用であまりに人がいい彼は
やがて嵌められ、さらに不運が重なり
仕事を失い、殺人を犯し、追い詰められていく。
このあたりは観ていて苦しくなるばかり。
殺してしまったのがエリートだったために
不穏な社会で苦しむ貧しい人たちの共感を得たのか
彼はある意味、カリスマのように祭り上げられていく。
まるでショーのようにさらなる殺人を犯すジョーカー。
映画のラストシーン、血だらけの口を指でなぞり
彼は自分自身に、大きく笑ったメイクを施す。
その際の、一瞬の戸惑い…
悪のカリスマを期待する群衆に応えるために
彼がジョーカーになった瞬間。
アーサーは、本当にコメディアンになりたかったのだろうか
ジョーカーは、本当に殺人鬼になりたかったのだろうか
コメディアンと殺人鬼
一見、真逆にみえる2つの生き方だけれど
いずれにせよ、彼の心の底に渦巻いていたものは
こっちを向いて
僕に気づいて
自分自身への絶望と、認められたい、愛されたいという
愛情への渇望のように感じられました。
殺人鬼ジョーカーとしての役割を選択した彼。
殺人鬼でいる限り彼は、
人々の視線を集めることが
承認を得続けることができる
欲しくてほしくてたまらなかった愛情の代わりに。
そしてそうである限り、彼はその役割から降りられないのでしょう。
上演後の映画館は誰もが沈黙。
あの重苦しい空気はあまり感じたことがないかもしれません。
見ごたえのある映画であることは間違いないです。
観るのに覚悟がいる作品かもしれません。
完成度、話題性、ダントツの作品であることは間違いありません。
映画【ジョーカー】にあなたはなにを思うでしょうか。
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